2008年11月8日土曜日

僕は本当の遊動の人(nomad)だ

生まれたときから、僕は遊動民として生活してる。ルイジアナ州に生まれたのに、二週間にもそこに住んでいなかった。赤ちゃんのときから、いつも引越ししていたそうだ。子供のとき、全体アメリカの色々な州に住んでいた。例えば、南のほうにあるオクラホマ州に住んでいてから、フロリダに引越しした。アメリカの北のほうにも住んだことがある。エリー湖の近くに住んでいて、ペンシルヴェニア州のピッツバーグにも住んでいた。 (写真:エリー湖)

今まで21回引越ししたので、出身がないかもへん。しかし、アメリカの南東のほうに住んでいたときが長いから、南の文化に影響されていた。住んでいたアメリカの州の中に、テネシー州が一番好きだ。なぜなら、景色がきれいだし、人たちがやさしいし、それにテネシー州の季節がすごいきれい。アメリカに一番長い住んでいた州はウェストヴァージニアとテネシーだから、自然の山の田舎に育てられた。僕にとってアイオワ州にすんでいる一番さびしいことは山がないことだと思う。冬になると、アイオワ州は寒冷(bleak)だそうだ。 (写真:テネシー州にあるアパラチア山~)
アメリカだけでなく、外国にも住んだことがある。法律の大学院生のとき、少しスペインに住んでいた。けど、外国なら、一番長い住んでいたときのは日本だ。二年間日本に住んでいた。日本に住んでいた村は山の村だから、その村が大好きだった。皮肉なことに、二年間はアメリカの一つずつの州に住んでいたときよりだいたい長い時間だ。

引越しするについて僕が思ったことはだいたいいいことだと思う。なぜなら、よく引越ししなければならなければ、性格が強くなるそうだ。子供なら、新しい学校に入学生になるとき、侮辱されてしまうときに、勇敢にならなければならない。そのうえ、引越しするとき、自由に自分の性格が変わられるし、前の間違えを治せます。僕にとって、この自由が一番よかったです。もちろん一つの出身に住んでいることも有利な立場(advantages)がある。皆さん~引越しすることについてどう思いますか?

2008年11月1日土曜日

国際連合(UN)で原爆の展示が明けられる


今日のニュースは朝日新聞の記事からだ。広島と長崎で原爆が落とされたことについて国際連合で5日間の写真の展示(exhibition)が月曜日に開かれた。この展示では被爆者(ひばくしゃ)の写真が見せられてる。記事によると、30枚の写真だ。

今この展示が明けられてるけど、2002年には、こんな展示が取り消してしまった。なぜなら、被爆者の写真はぞっとすると言われてたからだ。広島市長秋葉ただとしさんは「国際連合で原爆の展示が開かれることは被爆者が頑張ったおかげで、アメリカ人の原爆について考え方が変わっています」って言った。


けど、そうかなぁ~アメリカとインドが原爆の約束した。それから、色々な国が原爆を作ってるそうだ。国際連合は30枚の原爆の写真が見せてるが、原爆に反対するわけではないと思う。けど、考え方が少し変わってるかも知れない。皆さんはどう思う?
僕の願いは地球と平和のため原爆を作るのを止めて、作った原爆の軍備縮小(disarmament)を終えることだ。しかし、だいたい人間性は二元的だから、いつでも創造(create)して、破壊(destroy)するらしい。大変やな~

2008年10月18日土曜日

鳥取の砂丘についての新しい法律

砂(sand)の中に書いたあるメッセージが波や風に消される。しかし、今週の火曜日に鳥取県の会合が鳥取の砂丘の上にメッセジーを書くことを禁止した。朝日新聞によると、旅行者が鳥取の砂丘の辺にメッセジーを書けば、5万円も払わなければならないそうだ。今年の6月から200以上メッセージが書かれてしまった。このメッセージの内容は、「LOVE」とか「heartの形」で、とても大きいメッセージだと思う。

僕はALTのときに、鳥取の砂丘に行く機会があった。最初の写真は僕(一番右の人だ)と友達は砂丘の前に座ってる。この他の先生の友達と一緒に有名な馬のせという砂丘に登ってラクダ(camel)に乗った。そのとき、「LOVE]が砂丘の上に書いてあった。僕にとってこのメッセージは迷惑じゃないんだけど、たぶん砂丘のきれいなイメージを汚してしまったんだと思う。僕は、砂丘のイメージを守るためこんな法律がいいと思う。他の意見はどうでっか?



鳥取の砂丘について伝えてるので、面白い事変を教えたい。あるウィルという友達は馬のせという砂丘の上から走りたかった。だから、彼ははやく下まで走ってみたのに、落ちてしまって、丸い形で砂でかぶって下に着いた。ウィルさんの耳と口は砂で含んでいた。大変だったけど、実はめっちゃめっちゃ面白かった。二つの下にある写真がウィルの落ちてしまったことだ。




2008年10月10日金曜日

夏休みを思い出し


今年の夏休みにはイギリスに住んでいた。僕の彼女と別れても、夏休みは楽しかった。イギリスに住んでいたときに、アルバイトしたり絵を描いたり色々な有名な所に行った。もちろんロンドンに行った。実は1ヶ月ロンドンに住んでいた。2ヶ月はファーナムに住んでいた。ロンドンはすごいきれいな町だと思う。けど、世界中に行ったことがある外国の中で、イギリスのロンドンに住んでいる人が一番失礼だと思う。僕から言わせると、大ショックだった。有名なビッグベンやロンドンアイやタワーオッブロンドンなど見た。ロンドンは本当にいいだが、込んでいる町に住むことが大嫌い。

大きい町より小さい町が一番好き。だから、彼女は年休があったときに、スペインの南のマラガに行った。スペインが大好き。法律大学院生のとき~6年前に~留学生としてスペインで国際法律を勉強した機会があった。あのときバーセロナに住んでいた。
スペインの文化が大好き。なぜなら、スペイン人は本当にゆったりした人だから。毎日多いスペイン人はシエスタという休みを楽しんでる。スペインの南の天気も有名だ。ゴルドコーストというのは、 320日は晴れ。ともかく、このとき、彼女と車で、南のスペインの海岸で運転した。めっちゃきれいな景色を見たり色々な海の浜でリラックスした。この旅行中有名なアルハンブラ宮殿に行った。アルハンブラはイスラム教のムーアで建たれた。アルハンブラに行くと、伝統的なムーア建築が見られる。このスタイルは詳しいけど、人間のフォームじゃなくて、アラベスクのフォームしか使われない。スペインに行けば、アルハンブラに行ったほうがいいと思う。




2008年10月4日土曜日

アメリカとインドの原爆の約束

今日はコンダリーザライスというアメリカの国務長官(Sec. of State)はインドに着いた。コングレスは歴史的に有名な原爆のアメリカとインドの約束を批准したから。ライスさんはまだサインしないのに、すぐにサインするようだ。サインすると、30年のアメリカとインドの原爆を貿易の禁止令(trade ban)をひっくり返すようだ。世界の大きい民主主義の関係をもっと強くなると言われている。しかし、世界中の原爆を免れることについて悪い約束なんだ。アメリカはこんな批判を無視してる。僕の想像では、身勝手な行動だ。なぜなら、たぶんインドとアメリカは戦争しはじめないそうだけど、インドとパキスタンはいつも戦ってるからだ。そのうえ、アメリカは中国の強さについて心配してるので、インドは原爆を多くなったら、中国を戦えるかもしれない。アメリカにとってインドや中国やパキスタンに原爆落とすかどうか大切じゃないかもしれない。こわい!アメリカは世界のためのかわりにアメリカのためだけ決断してるかなぁ。他の意見はどうでっか?賛成?反対?

2008年9月27日土曜日

JET Programme の経験~2005年から2007年

大学院を卒業した後でJET ProgrammeでALTとして二年日本に住んでいた。日本に住む前に、あいさつやひらがなやかたかなだけ自分で勉強したことしかなかったんだけど、日本に着いたときに、本当に日本語が分からなかった。日本の奈良県の天川村に住んでいて小学校と中学校で日本の英語の先生と英語を教えた。天川中学校は24人の学生だけいるので、一人ずつの名前と性格が分かるようになった。天川村の学生は頭がいいし、明るくて、親切な人だと思う。彼らを教えることが楽しかった。今でも毎日天川人について思い出す。僕の学生は頑張ってるといいんですが~

住んでいた天川村は奈良県の南にある。車で大阪と奈良から1時間半ぐらいかかる。天川の人口は2千人ぐらいだ。天川村というのは「天の川」という意味だ。かっこいいな!天川の村は美しい。水は有名で体にいいから天川に行く日本人はべんざいてんという神社で水をペットボトルで集めるそうだ。

天川村で色々なきれいな自然の景色が見られる。緑の川や光ってる紅葉の山や高い滝があるので、いいハイキングができる。春には吉野郡にあるので、有名な桜も見られる。隣の村はどろがわ村だ。この村には有名な宗教の祭りがある。この伝統的な祭りでは、昔の道でパレードする。JET Programme の時代は一番楽しかったと思う。だから、JET Programme に興味がある人は僕に相談したければ、自由に聞いて下さい!

インドのボランティアの経験

日本に住んでいたときに、ボランティアとして他のALT(JETの英語指導助手)と一緒にインドに行った。特に、貧しい人たちの家を作るためバンガルルという南のインドの町の近くにある村で働いた。2007年3月にたくさんの注射させられた後、バンガルルに着いた。一見して本当にこわい町だった。野生の犬がどこでも走ったり大砲を持ってる警察官とかいたんだ。でも、このはじめの印象は間違っていた。村に着いたときに、僕たちに村人はあいさつして下さってプレゼントをいただいた。村の子供は頭がいいし、親切な人だし、それに一生懸命僕たちと英語を話そうとした。びっくりしたことは彼らは貧しくても、優しくて生活を楽しんでいるということだ。アメリカの雑誌ではよく悲しくて貧しい子供の写真をみるけど、外国に住んでる貧しい人はいつも悲いわけではないらしい。とにかく、二週間毎日8時間働いて、どんどん家を建てた。


家を建てることは難しかったが、本当に良くて楽しかった。3つの家を建てた間に異文化コミュニケーションができた。色々な所へ行って、色々な人に会う機会もあった。すぐにもっとボランティアとして外国に行こうと思ってる。大変でも大切な仕事だと思う。



インドの3つの面白いところをちょっと説明したい。まず、石切り場に行った。そこで、貧しいインド人は一日中きびしい仕事をしてる。お年寄りの人もこの仕事をしなければならない。重い石を運んではいけなくて100F(~40-45C)の天気でも働くことなんだ。そのインド人は石切り場に住んでる。ある石切り場で働いてる男の子は本がなくても自分で英語を一生懸命勉強してる。ぺらぺら僕と会話できた。彼は頭がいいけど、石切り場に残らなければならないことを僕に教えてくれた。僕は彼のため本当に悲しくなった。そこにアメリカにあるような機会がないそうだ。

2番は孤児院だ。石切り場で死んだ両親の生き残った子供たちは孤児院に住んでる。この子供は英語とヒンディを勉強してる。僕たちがたずねたとき孤児達(orphans) とゲームして折り紙(おりがみ)を教えた機会があった。孤児達は本当に嬉しそうだった。


          
最後はムンナルという世界の一番大きいお茶のプランテーションに行った。有名なムンナルのお茶を飲みながらきれいな景色を見た。左の写真はムンナルのプランテーションだ。この旅行のおかげで、あった機会をもっと感謝できるようになった。僕の想像ではアメリカは唯物論的(materialistic)な国だと思う。皮肉なことに、アメリカ人はお金持ちと言われているのに、本当に幸福な人じゃないと思う。