2008年9月27日土曜日

JET Programme の経験~2005年から2007年

大学院を卒業した後でJET ProgrammeでALTとして二年日本に住んでいた。日本に住む前に、あいさつやひらがなやかたかなだけ自分で勉強したことしかなかったんだけど、日本に着いたときに、本当に日本語が分からなかった。日本の奈良県の天川村に住んでいて小学校と中学校で日本の英語の先生と英語を教えた。天川中学校は24人の学生だけいるので、一人ずつの名前と性格が分かるようになった。天川村の学生は頭がいいし、明るくて、親切な人だと思う。彼らを教えることが楽しかった。今でも毎日天川人について思い出す。僕の学生は頑張ってるといいんですが~

住んでいた天川村は奈良県の南にある。車で大阪と奈良から1時間半ぐらいかかる。天川の人口は2千人ぐらいだ。天川村というのは「天の川」という意味だ。かっこいいな!天川の村は美しい。水は有名で体にいいから天川に行く日本人はべんざいてんという神社で水をペットボトルで集めるそうだ。

天川村で色々なきれいな自然の景色が見られる。緑の川や光ってる紅葉の山や高い滝があるので、いいハイキングができる。春には吉野郡にあるので、有名な桜も見られる。隣の村はどろがわ村だ。この村には有名な宗教の祭りがある。この伝統的な祭りでは、昔の道でパレードする。JET Programme の時代は一番楽しかったと思う。だから、JET Programme に興味がある人は僕に相談したければ、自由に聞いて下さい!

インドのボランティアの経験

日本に住んでいたときに、ボランティアとして他のALT(JETの英語指導助手)と一緒にインドに行った。特に、貧しい人たちの家を作るためバンガルルという南のインドの町の近くにある村で働いた。2007年3月にたくさんの注射させられた後、バンガルルに着いた。一見して本当にこわい町だった。野生の犬がどこでも走ったり大砲を持ってる警察官とかいたんだ。でも、このはじめの印象は間違っていた。村に着いたときに、僕たちに村人はあいさつして下さってプレゼントをいただいた。村の子供は頭がいいし、親切な人だし、それに一生懸命僕たちと英語を話そうとした。びっくりしたことは彼らは貧しくても、優しくて生活を楽しんでいるということだ。アメリカの雑誌ではよく悲しくて貧しい子供の写真をみるけど、外国に住んでる貧しい人はいつも悲いわけではないらしい。とにかく、二週間毎日8時間働いて、どんどん家を建てた。


家を建てることは難しかったが、本当に良くて楽しかった。3つの家を建てた間に異文化コミュニケーションができた。色々な所へ行って、色々な人に会う機会もあった。すぐにもっとボランティアとして外国に行こうと思ってる。大変でも大切な仕事だと思う。



インドの3つの面白いところをちょっと説明したい。まず、石切り場に行った。そこで、貧しいインド人は一日中きびしい仕事をしてる。お年寄りの人もこの仕事をしなければならない。重い石を運んではいけなくて100F(~40-45C)の天気でも働くことなんだ。そのインド人は石切り場に住んでる。ある石切り場で働いてる男の子は本がなくても自分で英語を一生懸命勉強してる。ぺらぺら僕と会話できた。彼は頭がいいけど、石切り場に残らなければならないことを僕に教えてくれた。僕は彼のため本当に悲しくなった。そこにアメリカにあるような機会がないそうだ。

2番は孤児院だ。石切り場で死んだ両親の生き残った子供たちは孤児院に住んでる。この子供は英語とヒンディを勉強してる。僕たちがたずねたとき孤児達(orphans) とゲームして折り紙(おりがみ)を教えた機会があった。孤児達は本当に嬉しそうだった。


          
最後はムンナルという世界の一番大きいお茶のプランテーションに行った。有名なムンナルのお茶を飲みながらきれいな景色を見た。左の写真はムンナルのプランテーションだ。この旅行のおかげで、あった機会をもっと感謝できるようになった。僕の想像ではアメリカは唯物論的(materialistic)な国だと思う。皮肉なことに、アメリカ人はお金持ちと言われているのに、本当に幸福な人じゃないと思う。

2008年9月13日土曜日

梶本淑子さんのスピーチ

今週は梶本さんという被爆者が原爆に反対する理由を説明するためにアイオワ大学を訪ねた。第2次世界大戦で原爆が落とされたときに、14歳の梶本さんは広島に住んでいた。原爆した後の地獄のような周囲をよく述べて下さった。

  ふええええ。。

一番印象づけられたことは梶本さんはまずアメリカが大嫌いだったけど、だんだんアメリカが好きになって、生きる意味を発見できたことだ。梶本さんによると、アメリカの代わりに、増悪とか原爆とかがこわくて大嫌いなものになったそうだ。

2005年7月から2007年8月まで日本に住んでいた。そのとき、広島に行ったことがある。広島平和記念資料館と原爆ドーム(A-BOMB)も行った。うえの僕が撮った写真は原爆ドームだ。僕にとって原爆を見る経験は大切なことだったと思う。僕から言わせると、BUSHのような原爆が大丈夫だと思う人は原爆ドームと広島平和記念資料館に行ったほうがいいと思う。